長田龍侍設計工房

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近代建築が捨て去ったもの

生命力ある建築

近代建築が捨て去ったもの

近代の歴史的建築家、巨匠ル.コルビュジェが「建築は住むための機械である」と語ったのは余りにも有名で、この言葉がよく引用されるのは、その後の建築の潮流を象徴的に言い表わしているからでしょう。

コルビュジェが活躍していた1920年以降は、近代化への幕があき、機械が人々の生活を豊かにし、未来は誰しもバラ色と信じられた時代でした。「建築は住むための機械」というメッセージは、過去の歴史的拘束‥‥古典主義や様式主義などの束縛からの解放を意味し、近代建築五原則を提案して建築の自由な可能性を高らかに宣言したのです。

機械の魅力に圧倒されたコルビュジェは機能純粋主義を標榜し、あたかも物質と精神/生命感を遠心分離器にかけて分解するようなことをしています。元来が造形家であった彼はフォルムは自由にカタチづくれると自負していたようです。一方、精神/生命感の要素についてはサヴォア邸 コルビジェあまり関心を示した様子は見当たりません。

コルビュジェのこの機能合理主義のメッセージは、近代化の旗印となりました。建築は工業生産化が進むと共に、次第に部品化され、無機的で生命力のない方向へと向かい、今日に至っているのです。

生命力ある建築

建築を部品化し組み立てる、合理主義と機能主義の要素によって近代モダン主義建築は発展してきました。木は木、石は石、ガラスはガラス‥‥といった物質の断片の集合体、人間も物質として捉えられ、いつしかこころをもった生きた生物であることを忘れ去ってしまいました。

科学の網に引っ掛からない、水/生命のようなものはスルリと合理機能主義の網を通り抜けてしまう。網に掛かった魚は水がなくては生きてはいけないはずなのに‥‥。美しい音楽も水/生命も数値化できるものではないし、部品化もできない。

生身の人間が生きていく上で欠くことのできない、この水/生命のような息吹きを建築にどう導き、復活させることができるかというのが私の学生時代からのテーマでした。

ル.コルビュジェの建築は美しい。それは、彼がもともと造形家であったことに由来するだろう。しかしながらコンポジション ムーア私は、憧れのロンシャンの教会を訪ねたとき、余りの美しさに感銘を受けたものの、パルテノンやガウディの建物のように生命のもつ息吹や感動を感じることはなかったのだが、それは私だけの解釈だろうか‥‥。

そして、今また、時代は徐々に生命力のある方向へ向かっているようです。

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